ゴンの妊娠徒然~アメリカあらふぉー妊婦記録~
出産録(病院編) 入院中のいろいろ&生後2ヶ月までの写真など
アメリカでの出産は
普通分娩で1泊2日
帝王切開で2泊3日。
ただし、
日が変わる前に生まれると
その日は換算されないので
病院に長くいたい派なら少しだけお徳?(違)
また入院が立て込んでる日は
早く帰らされたりもするらしいw(怖)
我が家の場合2日目に
ちびごんに「黄疸」が出たために
治療を続けるため特例として一日入院がのびた。
7月31日の夕方に入院して
8月4日の夕方に退院した。
4泊5日の入院。
アメリカにしては長めの入院だったw
怖かったのは医療費の請求。
相方の会社の保険で全てカバーされると聞いていたし
「必要だから帝王切開がオーダーされたんだから
大丈夫だよ」
と、相方も言うけど
そんなの知ったこっちゃないね?認めないから払ってね?
・・・・ってのがアメリカの悪代官的保険制度なわけで。。。
実際「請求金額はありません」といわれるまでは
不安で不安で心臓バックンバックン(><))))
半年くらい経過しても請求が来ないので
「・・・・うちらの自己負担分は無いってことでいいのかな?」
と、恐々思えるようになった次第。
保険様様だす。
保険が無かったら・・・と思うと
ほんとマジで心臓がキューーーーーっとなっちゃふ。
★★★★★★
回復室から
病室に到着して
看護師からいろいろ教わって
写真なんぞ撮っちゃって
ゆったり出来たのはつかの間。
初のオムツ替えと
授乳と私のホットフラッシュが待っていた。
★★★★★★
最初は多くの母親がそうであるように
私も母乳が出てなかったようで
ちびごんがよく泣いた。切なかった。
解っててもおなかをすかせたわが子を見るのは苦しい。
「お願いだからフォーミュラをあげて
お腹を一杯にしてあげてください」
来る看護師来る看護師に
言ってもらったが
聞き入れてもらえず。
「母乳育児の推奨」・・・が徹底されてるものと思われる。
そりゃ母乳がいいのはわかるけど
母乳の不安って目安がない分独特なので
わかってほしかった部分だった。。
結果的に『黄疸』と診断されて以降は
フォーミュラ(粉ミルク)を飲ませなければならなかったので
お腹をすかせてギャン泣きすることは無くなった。
通常3時間ずつのところを1時間半ずつで刻んだ。
ちびごんがワゴンに行くと少しでも眠っておきたいが
暑くて暑くて・・
なんで暖房が入ってるの?(@@:))))という暑さだった。
相方に言うと
「全然暑くない。寒い。」
そして、彼は革ジャン着用w
この暑さはホットフラッシュといって
ホルモンのせいらしい。
帝王切開だからなのか?
出産後だからなるのか?
それは聞けずじまいだったけど
ホットフラッシュは激しいのが2日間続き
退院後も私の睡眠を邪魔した。
冷房をガンガンかけてもらってたけど
全然効いてる感じがしなかった。
冷房がない自宅はまさにサウナ状態だった。
初日の夜は
暑さも手伝って喉が渇いて仕方がなかった。
氷をもってきてもらった。
それをたまに相方に口にいれてもらって
ゆっくりゆっくり舐めて凌いだ。
★★★★★★
ひっきりなしに看護師が変わる。
そして人の出入りがある。
看護師だったり調理の人だったり写真の人だったり
掃除の人だったり・・・もういろいろ。
看護師さんについては
一人を除いてみんな素敵な看護師さんばかりだった。
授乳のアドバイスや排泄の介助などなど、、、
嫌な顔一つせずコチラが戸惑ってれば進んでいろいろ教えてくれた。
またお世話になることがあればココで産みたいと思ったくらい。
仕事がキッチリしてる人が多い。
もう顔も覚えてないのが申し訳ないけど
一度ちゃんとご挨拶したいなぁと思う人達ばかりだった。
★★★★★★
麻酔をした関係で
尿道には管が入ったままだった。
麻酔が切れて痛み止めの点滴を打ちながら
管をはずされたのが翌日の夕方。
一人でトイレに行かねばならない。
最大の難関はそこだったかもしれない。
一人で立てない。
歩けない。
歩けたとして
今度は座りたくても座れない。
どこに力を入れたらいいのかわからない。
私も相方も最初の2日間は殆ど睡眠ゼロだった。
2日目の明け方は
ちびごんがお腹がすいてギャーギャー力一杯泣いてるっていうのに
二人で爆睡してしまったw(駄目親w)
頭の片隅で泣き声は聞こえてるんだけど
身体がもういうことを利かないって感じだった。
相方も多分同様の状態。
先に尿意で目覚めた私は
女3◎歳、、、、
漏らしてしまうかもしれない恐怖・・・を味わった。
起きたら尿意マックス。ゆっくりしか歩けない。
どこに力を入れたらいいかわからない。
脂汗が噴出してパニックになった。
疲れてる相方を起こすのは可哀想だと思って
途中までは一人で頑張ってたけど限界。
泣きながら相方を起こして介助してもらった。
ホント、、、情けなかった。
★★★★★★
情けないといえば
オムツ替え。
恥ずかしながら入院中のオムツ替えは
殆ど99%相方が替えた。
(※一度だけ、、、退院するとき私が替えた。)
決してやりたくなかったわけではない。
私は寝たきり状態だったし
立つの座るのに激痛だったから。
最初こそ慣れない手つきだったものの
1日経ったころには
まるで10年子育てしてたみたいなオムツ替えのスピード。。。
革ジャンきてリーゼントヘアの強面だけど
オムツ替え。。。。
本来の相方とは間逆のシュチュエーションに
一生懸命取り組んでる相方の背中を観てた。w
正直何もやってもらえないことを覚悟していたので
(実際子供が生まれてみないと男性の反応はわからないと私は思う)
本当に本当に助かった。
心強かった。
★★★★★★
授乳に関しても
相方の存在はでかかった。
私は上手にあげられない。
母乳が出てるかわからないということが
頭の中でクローズアップしてしまって
メソメソしてた。
その時に相方が非常に冷静に
「ごんちゃん?
どうして出来ないの?
ハリスで習ったこと忘れちゃったの?
こうだよ!!こう!!いいか?ほれ!!!
あなた全然違うじゃない?」
ちびごんの口をオッパイにこすりつけて
口をでっかく開けさせたら
すかさず驚くような力で顔面をプーーーーッシュ!!!
ぎょえ??(@@)))
・・・・と、思ったけど
深く咥えられたことで母乳が飲みやすくなったらしい。
喉をクウクウ鳴らして飲むようになった・・・
恐るべし・・相方!!!
勉強してないようで、、、勉強してたんだねぇ・・・(@@))))
※ハリスクラスのとき、相方は殆ど寝てたはずなんだけど。爆
ほんとに睡眠学習できるタイプらしい・・・
★★★★★★
手術後翌日から、点滴をつけたまま
「歩け歩け、どんどん歩け!」
「床が血だらけになってもいいから歩け!!」
と、スパルタ指導された。
※ほんとに血を流しながら歩いてる女性もいた。。。
(@@)))壮絶だった。
血液が出るのは当たり前で(悪露だから)気にすることはないらしい。
血だらけになっても・・・とは穏やかじゃないが
悪いものは早くでてしまったほうがいいらしい。
歩けばそれが早くでるらしいし、、、
信じ難いがやっぱり歩いた方がいいらしいw
歩くと術後の回復もはやいんだそーな。
腸の動きが活発化するらしい。
麻酔のせいで腸の動きが悪くなってるし
薬のせいで排便困難になる人も多いので
とにかく歩け歩けーっとなるらしい。
私も結構歩かされた。
ガスが腸を駆け巡ってるのがわかった。
★★★★★★
ガスは駆けめぐったが
お通じは
この入院中、、、ついに一度もなかった。
ガスは出てた。
ショックなことがあった。
意識してるガスと
知らないうちにでていたガスがあった。
手術のせいか?
意識せずとも絶えずガスがでていたらしく
排便していないので
オイニーが強烈(@@))))
トイレに立って帰ってくるとき
部屋を帯状に臭い空気が流れてる。。
しかも相当強烈・・?
出所はどうやら私のベット????
無意識の放屁w最悪だ。。。
しかもベット付近に滞留wありえない。。
強烈なオイニーを撒き散らしてる最中に
看護師さんが入ってきてしまった。
「すみません!!
今この中は(臭くて)危険です!!」
と、相方が言ったが
「全然平気よ。
みんなそうよ♪」
私は恥ずかしさでどうにかなりそうだったので
安堵して
またまた泣きそうになってしまった。
★★★★★★
手術後の翌日から
かなりの量を食べてた。
病院で出る食事のほかに
カフェテリアのご飯や
お見舞いでいただいた
美味しいパンやご飯に甘いもの。。。
それが全部腸の中に停滞している・・・
想像するだけで吐きそうw
退院の日、
看護師さんに相談すると
座薬を入れてくれた。
しかし、、、
やっとこさお目見えになったのは
小豆粒くらいw(意味無い)
ある意味
トイレに行くことが恐怖・・・なわけで
※下着を下ろして、
座って、
用を足して、
拭いて、また下着をあげて・・・という一連の動作に激痛を伴う。
身体が萎縮してたのかもしれないなぁ・・・と思った。
自宅に戻ったら
一斉にお目見えになり
目が痛くなりました。(汚)
★★★★★
排泄の話ばかりで恐縮であるますが
ちびごんの世話をしていると
オシッコだの
ウンポだの
ガスが出た!!
・・・などなどで大喜びしている自分がいます。
排泄という行為は、、、非常に尊く、
健やかであるために、大事なものなのだなぁ・・・と思うのです。
大人になればなるほど疎かになってしまいますね。
私も腸内環境を意識せねば。。。
★★★★★★★
8月4日退院。
退院するところからは
コチラに続く(ここクリックで飛びます)
★★★★★★
1年間、わからないながらに相方と二人で育児をしてきた。
幸い目立った病気も無く、成長曲線こそ平均ギリギリながらも
健やかに過ごせたこと、、、
本当に感謝している。
これからはっと自我が芽生え
ますます活発になり
人間としての手ごたえも出てくるのだろう。
そのうち反発もされるのだろう。
右往左往されず
その時その時を楽しめる余裕を持っていたい。
年齢がいってるからこそ出来る育児があると思うから。
★★★★★★
またまた無駄に長くなってしまいました!!
最後までご覧下さった方々、
そして妊娠、出産、子育てで関わってくださった全ての皆様!!
本当に本当にありがとうございます!!!
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
ちびごん?
あなたが産まれて来てくれて
私は世界で一番幸せです。
ありがとう
ごん家ファミリー
普通分娩で1泊2日
帝王切開で2泊3日。
ただし、
日が変わる前に生まれると
その日は換算されないので
病院に長くいたい派なら少しだけお徳?(違)
また入院が立て込んでる日は
早く帰らされたりもするらしいw(怖)
我が家の場合2日目に
ちびごんに「黄疸」が出たために
治療を続けるため特例として一日入院がのびた。
7月31日の夕方に入院して
8月4日の夕方に退院した。
4泊5日の入院。
アメリカにしては長めの入院だったw
怖かったのは医療費の請求。
相方の会社の保険で全てカバーされると聞いていたし
「必要だから帝王切開がオーダーされたんだから
大丈夫だよ」
と、相方も言うけど
そんなの知ったこっちゃないね?認めないから払ってね?
・・・・ってのがアメリカの悪代官的保険制度なわけで。。。
実際「請求金額はありません」といわれるまでは
不安で不安で心臓バックンバックン(><))))
半年くらい経過しても請求が来ないので
「・・・・うちらの自己負担分は無いってことでいいのかな?」
と、恐々思えるようになった次第。
保険様様だす。
保険が無かったら・・・と思うと
ほんとマジで心臓がキューーーーーっとなっちゃふ。
★★★★★★
回復室から
病室に到着して
看護師からいろいろ教わって
写真なんぞ撮っちゃって
ゆったり出来たのはつかの間。
初のオムツ替えと
授乳と私のホットフラッシュが待っていた。
★★★★★★
最初は多くの母親がそうであるように
私も母乳が出てなかったようで
ちびごんがよく泣いた。切なかった。
解っててもおなかをすかせたわが子を見るのは苦しい。
「お願いだからフォーミュラをあげて
お腹を一杯にしてあげてください」
来る看護師来る看護師に
言ってもらったが
聞き入れてもらえず。
「母乳育児の推奨」・・・が徹底されてるものと思われる。
そりゃ母乳がいいのはわかるけど
母乳の不安って目安がない分独特なので
わかってほしかった部分だった。。
結果的に『黄疸』と診断されて以降は
フォーミュラ(粉ミルク)を飲ませなければならなかったので
お腹をすかせてギャン泣きすることは無くなった。
通常3時間ずつのところを1時間半ずつで刻んだ。
ちびごんがワゴンに行くと少しでも眠っておきたいが
暑くて暑くて・・
なんで暖房が入ってるの?(@@:))))という暑さだった。
相方に言うと
「全然暑くない。寒い。」
そして、彼は革ジャン着用w
この暑さはホットフラッシュといって
ホルモンのせいらしい。
帝王切開だからなのか?
出産後だからなるのか?
それは聞けずじまいだったけど
ホットフラッシュは激しいのが2日間続き
退院後も私の睡眠を邪魔した。
冷房をガンガンかけてもらってたけど
全然効いてる感じがしなかった。
冷房がない自宅はまさにサウナ状態だった。
初日の夜は
暑さも手伝って喉が渇いて仕方がなかった。
氷をもってきてもらった。
それをたまに相方に口にいれてもらって
ゆっくりゆっくり舐めて凌いだ。
★★★★★★
ひっきりなしに看護師が変わる。
そして人の出入りがある。
看護師だったり調理の人だったり写真の人だったり
掃除の人だったり・・・もういろいろ。
看護師さんについては
一人を除いてみんな素敵な看護師さんばかりだった。
授乳のアドバイスや排泄の介助などなど、、、
嫌な顔一つせずコチラが戸惑ってれば進んでいろいろ教えてくれた。
またお世話になることがあればココで産みたいと思ったくらい。
仕事がキッチリしてる人が多い。
もう顔も覚えてないのが申し訳ないけど
一度ちゃんとご挨拶したいなぁと思う人達ばかりだった。
★★★★★★
麻酔をした関係で
尿道には管が入ったままだった。
麻酔が切れて痛み止めの点滴を打ちながら
管をはずされたのが翌日の夕方。
一人でトイレに行かねばならない。
最大の難関はそこだったかもしれない。
一人で立てない。
歩けない。
歩けたとして
今度は座りたくても座れない。
どこに力を入れたらいいのかわからない。
私も相方も最初の2日間は殆ど睡眠ゼロだった。
2日目の明け方は
ちびごんがお腹がすいてギャーギャー力一杯泣いてるっていうのに
二人で爆睡してしまったw(駄目親w)
頭の片隅で泣き声は聞こえてるんだけど
身体がもういうことを利かないって感じだった。
相方も多分同様の状態。
先に尿意で目覚めた私は
女3◎歳、、、、
漏らしてしまうかもしれない恐怖・・・を味わった。
起きたら尿意マックス。ゆっくりしか歩けない。
どこに力を入れたらいいかわからない。
脂汗が噴出してパニックになった。
疲れてる相方を起こすのは可哀想だと思って
途中までは一人で頑張ってたけど限界。
泣きながら相方を起こして介助してもらった。
ホント、、、情けなかった。
★★★★★★
情けないといえば
オムツ替え。
恥ずかしながら入院中のオムツ替えは
殆ど99%相方が替えた。
(※一度だけ、、、退院するとき私が替えた。)
決してやりたくなかったわけではない。
私は寝たきり状態だったし
立つの座るのに激痛だったから。
最初こそ慣れない手つきだったものの
1日経ったころには
まるで10年子育てしてたみたいなオムツ替えのスピード。。。
革ジャンきてリーゼントヘアの強面だけど
オムツ替え。。。。
本来の相方とは間逆のシュチュエーションに
一生懸命取り組んでる相方の背中を観てた。w
正直何もやってもらえないことを覚悟していたので
(実際子供が生まれてみないと男性の反応はわからないと私は思う)
本当に本当に助かった。
心強かった。
★★★★★★
授乳に関しても
相方の存在はでかかった。
私は上手にあげられない。
母乳が出てるかわからないということが
頭の中でクローズアップしてしまって
メソメソしてた。
その時に相方が非常に冷静に
「ごんちゃん?
どうして出来ないの?
ハリスで習ったこと忘れちゃったの?
こうだよ!!こう!!いいか?ほれ!!!
あなた全然違うじゃない?」
ちびごんの口をオッパイにこすりつけて
口をでっかく開けさせたら
すかさず驚くような力で顔面をプーーーーッシュ!!!
ぎょえ??(@@)))
・・・・と、思ったけど
深く咥えられたことで母乳が飲みやすくなったらしい。
喉をクウクウ鳴らして飲むようになった・・・
恐るべし・・相方!!!
勉強してないようで、、、勉強してたんだねぇ・・・(@@))))
※ハリスクラスのとき、相方は殆ど寝てたはずなんだけど。爆
ほんとに睡眠学習できるタイプらしい・・・
★★★★★★
手術後翌日から、点滴をつけたまま
「歩け歩け、どんどん歩け!」
「床が血だらけになってもいいから歩け!!」
と、スパルタ指導された。
※ほんとに血を流しながら歩いてる女性もいた。。。
(@@)))壮絶だった。
血液が出るのは当たり前で(悪露だから)気にすることはないらしい。
血だらけになっても・・・とは穏やかじゃないが
悪いものは早くでてしまったほうがいいらしい。
歩けばそれが早くでるらしいし、、、
信じ難いがやっぱり歩いた方がいいらしいw
歩くと術後の回復もはやいんだそーな。
腸の動きが活発化するらしい。
麻酔のせいで腸の動きが悪くなってるし
薬のせいで排便困難になる人も多いので
とにかく歩け歩けーっとなるらしい。
私も結構歩かされた。
ガスが腸を駆け巡ってるのがわかった。
★★★★★★
ガスは駆けめぐったが
お通じは
この入院中、、、ついに一度もなかった。
ガスは出てた。
ショックなことがあった。
意識してるガスと
知らないうちにでていたガスがあった。
手術のせいか?
意識せずとも絶えずガスがでていたらしく
排便していないので
オイニーが強烈(@@))))
トイレに立って帰ってくるとき
部屋を帯状に臭い空気が流れてる。。
しかも相当強烈・・?
出所はどうやら私のベット????
無意識の放屁w最悪だ。。。
しかもベット付近に滞留wありえない。。
強烈なオイニーを撒き散らしてる最中に
看護師さんが入ってきてしまった。
「すみません!!
今この中は(臭くて)危険です!!」
と、相方が言ったが
「全然平気よ。
みんなそうよ♪」
私は恥ずかしさでどうにかなりそうだったので
安堵して
またまた泣きそうになってしまった。
★★★★★★
手術後の翌日から
かなりの量を食べてた。
病院で出る食事のほかに
カフェテリアのご飯や
お見舞いでいただいた
美味しいパンやご飯に甘いもの。。。
それが全部腸の中に停滞している・・・
想像するだけで吐きそうw
退院の日、
看護師さんに相談すると
座薬を入れてくれた。
しかし、、、
やっとこさお目見えになったのは
小豆粒くらいw(意味無い)
ある意味
トイレに行くことが恐怖・・・なわけで
※下着を下ろして、
座って、
用を足して、
拭いて、また下着をあげて・・・という一連の動作に激痛を伴う。
身体が萎縮してたのかもしれないなぁ・・・と思った。
自宅に戻ったら
一斉にお目見えになり
目が痛くなりました。(汚)
★★★★★
排泄の話ばかりで恐縮であるますが
ちびごんの世話をしていると
オシッコだの
ウンポだの
ガスが出た!!
・・・などなどで大喜びしている自分がいます。
排泄という行為は、、、非常に尊く、
健やかであるために、大事なものなのだなぁ・・・と思うのです。
大人になればなるほど疎かになってしまいますね。
私も腸内環境を意識せねば。。。
★★★★★★★
8月4日退院。
退院するところからは
コチラに続く(ここクリックで飛びます)
★★★★★★
1年間、わからないながらに相方と二人で育児をしてきた。
幸い目立った病気も無く、成長曲線こそ平均ギリギリながらも
健やかに過ごせたこと、、、
本当に感謝している。
これからはっと自我が芽生え
ますます活発になり
人間としての手ごたえも出てくるのだろう。
そのうち反発もされるのだろう。
右往左往されず
その時その時を楽しめる余裕を持っていたい。
年齢がいってるからこそ出来る育児があると思うから。
★★★★★★
またまた無駄に長くなってしまいました!!
最後までご覧下さった方々、
そして妊娠、出産、子育てで関わってくださった全ての皆様!!
本当に本当にありがとうございます!!!
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
ちびごん?
あなたが産まれて来てくれて
私は世界で一番幸せです。
ありがとう
ごん家ファミリー
by gondaregondare
| 2011-07-30 16:59
| 出産録